わかんない

 

 

目が見えない、耳が聞こえない、それは怖い。

体調不良の延長戦。

 

本当に怖いのは、完全に見えなくなることよりも、見えていても見る気をなくしてしまうこと。見つめることをやめてしまうこと。聞きたくなくてふさぐこと。

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そして同じように、見てもらえないこと。聞いてもらえないこと。

 

 

どこか遠い国の関係のない出来事みたいな景色だった。昼間の病院までの道のり。学生たちはひたすらに五月蝿かった。木漏れ日は綺麗であたたかった。木陰は寒かったけど優しかった。何も知らない学生達だけが邪魔だった。僕が嫌いなのは「無関心」だ。他人に対しての。でも無関心でいられることへの僻みもきっとあると思う。そもそも僕の関心と他人の関心事項は違う。それでも僕が人のことばかりを気にするのは、人から見えている僕のことばかりを気にしているからだきっと。

 

 

SNSを通して届く僕を傷つけようとして送ったであろうメッセージにも、自分の中にも少なからず似たものを感じる。悲しいけど蔑ろにできない。怒り返せるほど僕だってそんなに綺麗じゃないもの。

 

お互いにしんどいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕にとって、

 

” 言葉にする” というのはとっかかりを作るということで、切り立った斜面の崖を登る際に掴む場所を探すようなもので

間違えたら引き返さないとより上に登れないし先へ進めない、でも進んでみないと掴んでみないとわからない、ということが多々ある。

 

「これでいいのかな」と「でも先へ進まなきゃ」の振り子の中で崖を登る。間違いを責められたら、やっぱりそれは悲しい。SNSに期待しすぎだよ、で片付けることもできるけどこれだって時代に合わせた言葉のひとつだからできることならできる限りのやりとりはしたい。

 

そうだ、

 

全て伝わる日なんて来ないかもしれないけれど、また会って話せたらいいなと思う人がいる。悪いことをしたかったわけでも傷つけたかったわけでも甘やかされたかったわけでもなくて、

 

僕は僕になりたくて、必死だったんだな〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

 

 

 

誰も間違ってないな、立場があるだけ、って何度も何度も繰り返し言って思ってきた。

 

それは何かに負けそうな時のただのおまじないみたいなものかもしれない、けどそうだとしてもおまじないで消える痛みがあるなら唱えるべきだよね。いたいのいたいのとんでゆけ。

 

人間の感情はどういう神経の信号の伝達で発生するのか、とか そういうの詳しく知るのが好きで、もとよりなんでも理由を知るのが好きで、そういえば文章にしたことなかったから書くけど、

僕は生まれてから何度も なんで僕だけこれができないの? みたいに思うことが多くて、アレルギーだからこれが食べられないとか汗かくとダメだから運動できないとか

 

そういうのすべてに理由などなくてただ僕が僕だからできないだけなんよね。

 

でもそれが納得できなくてせめて理由を調べてわかるものは納得するまで知りたがった。説明したがった。感情の説明が僕の歌詞の始まりで。(だからこそ音楽的じゃないことは少しだけコンプレックスであり、同時にでもまあ仕方ないかメッセージの方が大事だしとも思ってる)

 

だから話しても話しても上手く言えた気のしないような不安、少しは分かるような気がする!

 

みんな大丈夫やで

 

 

 

結局おれも一緒やんな、と思う。

 

お前もお前もお前もお前も、それは何に対しても。僕の中の僕に対しても、当たり前に君に対しても。お互い完璧などないのに欠けた部分の揚げ足をとりあって、大多数を背中に透かした方がなんとなく勝ちなのはもうしんどい。

口にしたお前はちょっとスッキリした程度かもしれないけれど、跳ね返ってきた時やっと「匿名でそれを言われることの恐ろしさ」がわかるよ。

 

 

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こうやって自分で自由に生きれなくしていくのも馬鹿だなあと思う。目が腫れてる。痛い。悔しい。弱いのが。すぐ壊れる。

 

部屋はある程度汚れている方がずっと生きやすい。完璧でないことを生活と言ってのける方がずっと素晴らしい。継接ぎを重ねたその中の刹那、さっと部屋を片付け人を招き息をついた一瞬の夜があった。振り返ると大事なものは全部そう。

 

免疫が強すぎるが故に内側から外側を荒らすならボロボロに剥がれる肌は誤魔化しのない僕本来の心の剥き出しなんでしょう。見た目を綺麗にして終わらせたらわからなかったことがきっと沢山あったでしょう。まるでアイドルに会いに来たかのようなチャラチャラしたお客さんが、僕は嫌いだった。今歌を歌っている場所にはそれは少ない。

 

 

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本当に欲しいのは、健康な見た目じゃなくて、

 

見た目を判断基準にしてしまわないこころ。

 

 

 

 

 

なんでなくて当たり前と思っていたものが手に入って当たり前になるんだろう。

 

 

マスクの下がマシになってきてすっかり元気になった気でいたけれど、跡は残っていて(なんだよまだ消えてないじゃんよ)と思う。まだ。

もうここまで来た と思うのか、まだここまでしか と思うのかは同じ距離でも受け取る豊かさが違う。コップの水がまだ半分、もう半分とかそういうのも。

なんでかな。欲しがること更新することはよりよく生きるうえで必要だからかな。

そこで何をどう欲しがるかはその人のその人としての生き方・「私」という動物としての生き方の完結までに関係しそうだな。僕の 本が読みたい、も足りない部分を埋めることで生きてる感じするし。

 

なぜを埋めたい僕の場合の よりよく生きる は、何を指すだろう。

 

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辺りを知り尽くした後はいつも、今もそうだけど、学生の頃なんか特に 確かめ直すように引きこもってた。定期的に。持て余した熱を発散するみたいにワーッと動き回って散々色んなものから返事を受け取ったあと、抱えきれなくなって身体にガタがきて部屋に閉じ込もる。

 

人は定期的に風邪をひくべきと聞きました。毎日の毒の帳尻合わせをするために。

 

 僕の風邪はこれ。

 

 

 

 

 

 

 

思ったことを下書きとしてメールの未送信ボックスに書き溜める癖があるのだ

 

 

 

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前のブログよりこっちの方がメールで打った下書きの表記に近いなと思って作った!

 

あとこのブログ パッと文字がワッと連なってるのがよいなと思ったんよね、綺麗に整列してて?

 

前書いてた手書きのメモにもこんな感じでびっしり小さな字が整列していたから、多分そういうのが好きなんとおもう

 

この前はじめて人に歌詞ノートを見せた時 「 残してたのは誰かに見て欲しかったからじゃない??」って言われて、すごく納得した。これも見て欲しいから書いてんのだろな〜〜。

 

 

素直に自分を知って欲しいって言うの怖いのなんでだろ、

 

怖かったのだな!シンプルに!笑

 

 

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すごい人を見るたびに「 アーーーーーー僕のやっていることはまだまだ全然音楽じゃねえーーーーーー 」って思う。昨日も思った。うさんくさいのは嫌!

 

まだまだまだまだやることいっぱいあって、

 

たのしいね〜〜〜〜〜〜〜〜