直ぐには上がってこない

 

 

直ぐには上がってこない。

 

昨日見た綺麗な絵も、いつか読んだ本の一行も、誰かと一緒に行った旅先の景色も。その瞬間はバッと網膜に薄く張り付くだけで、馴染み浸透するまでに時間がかかる。珈琲に砂糖が溶けるまで。苦いだけの飲み物が別のものに変わるまで。しょうがなく待つ。仕方がないから。珈琲はそのままなら抗酸化作用があるのに、砂糖を溶かしたら酸化するという話がいつまでも残っていて(変わるというかおそらく砂糖そのものが体を酸化させる食べ物)事あるごとに思い出す。そもそも酸化とはなんだっけ、と側の錆びた釘を見て そっか、これが体内で起こってると思えばいいのか と安易に考える。だってこれ以上今は分かりようがないから。取り急ぎ今僕の興味は「酸化」という現象について。酸素に触れて起こる酸化。酸素は人間に必要なものなのに。生きるために吸った酸素で僕達は少しずつ酸化する。心を動かすために見た景色で網膜をすり減らす。少しずつ何かを使い古したものに変えてゆく。釘の表面をこすれば落ちる焦げたような色の錆び、それが僕の書いた歌詞で誰かの描いた絵。 

すぐにはそうならない。そうなれない。綺麗なままで、使う期間が必要だ。人間としての綺麗な使い立て、銀色の釘の時間が必要だ。その先に望む時間があることが救いでもあるし苦しむこともある。錆びることを先に望む釘も珍しいと思うけれど。