眼
ちょっとずつ伝えていくしかないのかな、と思った。
昨日はライブでした。病み上がり。終わった後クソほどしんどくなってフラフラしてしまった。でも歌はちゃんと歌ったよ。ライブってですね、「返し」という歌ってる本人に音を返すためのスピーカーがありまして、まあ自分の声・音を聴く用やね。それも本番前のリハーサルでやりながらライブハウスの人に調整してもらうんだけど、自分を自分で見る・聴くっていう作業は神経質になりすぎて怖い。久しぶりにいろいろ思い出した。
バンドしてた頃、気にし過ぎて全く音程が取れなくなったこともあったし、不安の中でステージの真ん中に立つことがよくあった。油絵を近くで見るように、何描いてあんのかわからなくなるほどの距離で見るのはなんだってしんどい。そういう気にし過ぎるとこがあって、写真撮られることや鏡見るのが嫌いだった。細部を見て、もっと言うと自分の粗を探して凹むから。
日によっての自分が少しずつ違うこと、そしてともすると今日は「良くない方の日」であること。それに気づくのは悲しかった。
でも、そもそも絵はある一定の距離から見るためのものであって、大きく作られているわけであって、それは僕の好きな「抽象的」なわけであって、
僕自身他人の目にどう映っていたいか・どんな人でありたいかを大きくもっておけば、緩やかな自分のままでいられるかなとやっと少し思えるようになってきた。細かく見てここがダメ、と細部を気にして全体を殺すのは勿体無いなって。
細かいとこまで完璧に作り、全て伝え切りたいという思いがあるから 誤解に凹むこともあるけど、
改めて、今はゆっくり大きく、ちょっとずつちょっとずつ伝えていこうと思った。